映画の後には紅茶とお菓子を

百合とアニメと映画の感想

『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』の演出と感想

ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生
原題:Fantastic Beasts: The Crimes of Grindelwald
2018年

 

 

 

演出など

逃亡劇

セストラルの馬車がMACUSA(アメリカ合衆国魔法議会)の塔から駆け降りるショットは、マイク・ニューウェル監督とロジャー・プラット撮影監督による『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』のボーバトン魔法アカデミーがホグワーツに到着するショットを思い起こさせる。

ゲラート・グリンデルバルドは馬車に乗っていた護送責任者を突き落とすが、海面すれすれで静止させ海に落とした。人間は高い場所から水面に叩きつけられれば死ぬ可能性が高いので、死なないように気を使ったのだろうか。

 

イギリス魔法省にて

ニュート・スキャマンダーの兄テセウス・スキャマンダーが初登場。このシーンだけでもテセウスが弟のニュートを思いやっているのがわかる。

 

アルバス・ダンブルドアとの話

手袋の芝居が良い。アルバス・ダンブルドアのお茶目さをよく表している。
立ち去ったと思わせておいて、カードをニュートのコートのポケットに入れてポンポンと叩く芝居など。
アニメーターとアニメーションスーパーバイザーの成果。

 

パリにて家の襲撃

ゲラート・グリンデルバルドたちがパリで家を襲撃したシーン。グリンデルバルドのPOVショットで、窓越しに部下が人を殺害する様子を撮影したショットが良い。カメラが家の住人を追って左から右へと移動していくと、扉から入ってきた部下がアバダ・ケダブラを使う。
確か家の前に馬車が止まっていて、殺害した人を棺に入れて運び出していたっけ。
また、グリンデルバルドがドアを閉めて部屋から立ち去る瞬間に、残された幼児を殺害する緑の光が見えるショットも良い。
残された幼児はハリー・ポッターとヴォルデモートを意識していたのかな。

 

サーカス

日本の河童が元のカッパがいた。教科書『幻の動物とその生息地』でも説明されていた。

あのナギニが人間として登場。「血の呪い」で動物に変身するマレディクトゥスで、いつか完全に蛇になってしまう運命らしい。

ズーウー(Zouwu)は騶虞(すうぐ)のことらしい。『十二国記』に出てきた騶虞と結びつかなかった。

ティナ・ゴールドスタインが出会ったユスフ・カーマは、善人か悪人か最初は疑った。

 

アーマ・ドゥガード

クリーデンス・ベアボーンとナギニが手がかりを求めてハーフエルフのアーマ・ドゥガードを訪ね、話を聞いていた最中に、グリムソンがアーマを殺害。魔法省の指示かと思ったら、グリンデルバルドと通じていたらしい。
クリーデンスは怒りで力を暴走させたのかと思ったら、力を制御できるようになっていた様子。

 

ホグワーツ

山と湖に囲まれたホグワーツ城のショットは、クリス・コロンバス監督とジョン・シール撮影監督とロジャー・プラット撮影監督による風景ショットを思い起こさせる。

ダンブルドアが生徒に教えているシーンは、アルフォンソ・キュアロン監督とマイケル・セレシン撮影監督の『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』でのリーマス・ルーピンの授業を思い起こさせる。

テセウスにグリンデルバルドの集会には行くなと忠告するダンブルドア

 

フランス魔法省にて

ズーウーが活躍したのが良かった。第1作では魔法動物の話とニューヨークの怪事件の話があまりつながっていなかった。

マタゴが魔法省の外に出ると、普通の小さな黒猫になったのが可愛い。

 

ニコラス・フラメル

ハリー・ポッターと賢者の石』で少しだけ語られた、あのニコラス・フラメルが登場。
隠れ家(safe house)としてニュートに伝えられるほどダンブルドアの信頼が厚い。

 

レストレンジ家の墓

男性作家はあまり書かない設定や話かなと思う。

ユスフ・カーマとリタ・レストレンジは異父兄妹。
ユスフ・カーマはセネガルの純血の名門家出身。
リタの父はフランスの純血の名門レストレンジ家出身で、ユスフの母を魔法で洗脳し拉致。リタが生まれるが愛はない。
リタの父は別の女性との間にコーヴァスが生まれ、初めて子どもに愛情を抱く。
少女時代のリタと乳児のコーヴァスとアーマ・ドゥガードがアメリカ行きの船に乗っていた時、海難事故が起きる。リタは抑圧されていた感情に突き動かされ、コーヴァスと別の赤ちゃんを取り換えてしまう。リタと別の赤ちゃんとアーマ・ドゥガードは助かるが、コーヴァスの乗っていた救命ボートは転覆。コーヴァスは死亡したとみられる。そのことでリタは自分が弟を殺したとずっと思いつめている。
別の赤ちゃんの身元をリタは知らない。その赤ちゃんがアメリカのベアボーン家に養子に出されたクリーデンス。

レストレンジ家の家系図は、男性のみが名前と肖像画で記され、女性は個々人を表す花のみ。レストレンジ家にとって女性は子孫を産むためだけの存在として扱われていたようだ。

 

集会

グリンデルバルドが見せた未来予知で第二次世界大戦原子爆弾が。戦闘機や戦車による街の破壊(ロンドン大空襲かな?)ときのこ雲は人間の愚かさへの批判だろうと思う。
今までJ.K.ローリングは現実の現在と過去の出来事や問題をメタファーとして数多く作中に描いてきた。その彼女が珍しく直接的な表現を使った。

青い炎の輪によって脇役やモブキャラクターが何人も死んでいった。児童書から出発したハリー・ポッターシリーズでは段階を踏んで人の死を描いていたが、今シリーズは大人向けの映画としての側面が強い。

自分について知りたいクリーデンスが心優しいナギニを振り切ってグリンデルバルドについたのは順当だろう。

クイニー・ゴールドスタインがジェイコブ・コワルスキーを振り切ってグリンデルバルドのもとに歩いて行ったのは、それまでの心理描写があるので理解できる。残念だが。
ハリー・ポッターシリーズではハリー、ロン、ハーマイオニーの3人がずっと一緒に闘ってきた。だから今シリーズでメインキャラクターの離反と対立を描き始めたことに、J.K.ローリングの成長を感じた。

 

再びホグワーツにて

ニフラーがグリンデルバルドから盗んできた物は、ダンブルドアとグリンデルバルドの「血の誓い」に関係する物らしい。だからダンブルドアはグリンデルバルドを攻撃することができないと。

 

ヌルメンガード城

オーストリアにあるグリンデルバルドの拠点。

グリンデルバルドによると、クリーデンスの本当の名前はアウレリウス・ダンブルドア。行方不明になっていたアルバス・ダンブルドアの弟らしい。
クリーデンスがお世話していた鳥の赤ちゃんはダンブルドア家に伝わる不死鳥であると。
グリンデルバルドに杖をもらい、クリーデンスは山を破壊する。

 

 

感想

子どもの時からハリー・ポッターの小説を読み、映画を観て育ってきたファンとしてはとても楽しい映画だった。
ただ、映画評論家から批判された理由もわかる。登場人物が多く、話がいくつも並行して進み、過去の回想もあり、設定が絡み合い、サブプロットが詰め込まれているが、この作品で何を描きたいのかがはっきりしていないからだ。
五部作の第2作でありながら、このシリーズで話を語るための準備がようやく整った、という印象を受けた。

J.K.ローリングの才能は小説という媒体では力を発揮するが、映像作品の素材である脚本には向いていないと思う。
2年前に第1作を観たときも思ったけれど、別の脚本家、例えばこのシリーズではプロデューサーを務めているスティーブ・クローブスに脚本の書き直しを頼むべきだろう。
そしてそんな脚本を承認した監督とプロデューサーの責任だ。

デイビッド・イェーツ監督の演出がますます磨きがかかっていた。彼はもともとドラマを得意とする演出家/監督で、ハリー・ポッターシリーズでもその力を発揮していた。『ステート・オブ・プレイ〜陰謀の構図〜』もおもしろかった。
ただ以前はアクションシーンで微妙なときも見られたが、今作ではプリビズアーティストたちとの作業が一段と良かったようだ。現在のVFXはプリビズ(previsualization)なしにはなしえないからだ。

 第1作でも見られたが、屋敷しもべ妖精が働いている様子をさりげなく描いているところも良い。特に今作では、各ショットの主な要素を意図的にフレーム奥に配置して、手前で屋敷しもべ妖精が働いているショットが目立った。

 

ゲラート・グリンデルバルドと信者の描写はナチを連想させる。巧みな人心掌握術、聴集を引き込む演説などまさにアドルフ・ヒトラーを意識しているだろう。

第二次世界大戦に関して、J.K.ローリングは1945年で話が終わると言っている。

つまりアルバス・ダンブルドアとゲラート・グリンデルバルドの闘いは、そのままマグル(ノーマジ)の世界と連動していくのだろう。

 

 

スタッフ

監督:デイビッド・イェーツ
脚本:J・K・ローリング
製作:デイビッド・ヘイマン、J.K.ローリング、スティーブ・クローブス、ライオネル・ウィグラム
製作総指揮:ティム・ルイス、ニール・ブレア、リック・セナ、ダニー・コーエン
撮影監督:フィリップ・ルースロ
プロダクション・デザイナー:スチュアート・クレイグ
衣装デザイナー:コリーン・アトウッド
編集:マーク・デイ
音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード
視覚効果監修:ティム・バーク、クリスチャン・マンズ