『リコリス・リコイル』の脚本について
脚本
『リコリス・リコイル』のシリーズ構成と脚本は、『マーベル・シネマティック・ユニバース』や『HiGH&LOW』シリーズに似ている。
『HiGH&LOW』シリーズは撮影の段階までは確固たる脚本がなく、撮影現場で監督と俳優が、俳優及び登場人物をかっこよく見せるための演出を考えて撮影しているそうだ。ストーリーはその決めシーンの間をつなぐものという位置づけ。
『MCU』の各作品は、アクションシークエンスありきなので比重が高く、その合間にドラマがはさまれている。そして定期的に挿入される、one-liner と呼ばれる一言ジョークがお約束。マーティン・スコセッシ監督やフランシス・フォード・コッポラ監督をしてテーマパークのアトラクションと言わしめた。従来からの "cinema" とは別物だという意味。
『リコリス・リコイル』は『HiGH&LOW』シリーズのように、ストーリーよりもキャラクターを魅せることを優先している。そのため『MCU』のように、アクションシークエンスを起点にストーリーを組み立て、合間にコメディを入れたり、視聴者を引き付けるポイントを入れていると思う。
『リコリス・リコイル』には映画などのオマージュが数多く盛り込まれている。ただそのオマージュはやりたかったから入れただけで、ストーリーやキャラクター設定、キャラクターの感情を描写するのに必要だから入れた、とはあまり感じられない。
真島の口癖「バランス」を借りるなら、孤児で無戸籍の少年兵や司法手続きによらない治安維持などのディストピア設定、真島の襲撃による大勢のサードリコリス殉職といったシリアスなストーリーと、千束とたきなを中心にしたコミカルなストーリーのバランスが悪い。第6話ではロケット弾が直撃しても真島は怪我一つなく生還するギャグアクション。それまでの生死をかけた非情さから方向転換したのか。どっちつかず。中途半端。
当初のコンセプトが女の子版『シティーハンター』だったそうだ。どんな目にあっても死なないというギャグの作風であるなら、わざわざメインキャラクター以外のモブキャラクターたちが大勢死んでいるストーリーでなくてもよかったのでは。
8月30日追記
『リコリス・リコイル』は千束とたきなの物語で、それ以外はすべて舞台装置に過ぎないと足立慎吾さんが認めている。
足立慎吾さんはインタビュアーからストーリーや設定について掘り下げる質問をされて、深く考えないでほしいと逃げた。
――情報隠蔽を「悪」とするか、表面上の平和を「善」とするかですね。DAという組織が孕(はら)んでいる矛盾は第1話の冒頭ナレーションからも明らかになっていますし、難しいところですね。
足立 まあまあ、そんな難しいことは考えないでほしい(笑)。理不尽な世界の中で、千束とたきなのふたりがどう動くのかを見てもらいたいというのが願いではあるんですけど。
哲学を深く考えてストーリーや設定を構築したのではなく、表面だけの張りぼてだから、難しいことを考えてほしくないのでは?
「DAがしていることの是非は視聴者に考えてもらいたいところですね。」「監視社会に対するアイロニーもあるかな?」とかっこつけていたけれど。
「さまざまな哲学的見地にも触れたし、頭がおかしくなりそうでしたよ。」と言っているが、どれだけ追求したのやら。
『リコリス・リコイル』のストーリーの粗は、意図的なものなのか誤謬なのかはまだ判断しかねる。(第6話まで放送・配信済み)
アニメーターでしかなかった足立慎吾さんが、シリーズ構成・脚本までやっているので、信用していない。
さらに同じく作画しか経験がなかったアニメーター仲間の鹿間貴裕さんにも脚本を書かせている。まず自分がいい脚本を書けるかどうかもプロデューサーに証明していないのに、同じく初挑戦の人を巻き込むのは無謀。取らぬ狸の皮算用。
足立慎吾さんと鹿間貴裕さんの脚本初挑戦は、芸能人の声優初挑戦と同じ穴の狢に感じる。身内の人間のゴリ押し。
アニプレックス スクリプトルームの人たちに依存しないと脚本を書けない。これでよく、自分が脚本のクレジットに値すると思えるね。感心する。
足立慎吾さんが参加した時点で、既にアサウラさんによるプロットがあった。だから『リコリス・リコイル』におけるシリーズ構成と各話脚本家の役割は、監督とアサウラさんとプロデューサーと一緒にプロットを磨き上げ、構成プランを作り、実際の脚本に落とし込むこと。
別のインタビューでは、足立慎吾さんもストーリーや設定作りに大きく関わったこと、アサウラさんによる当初のシリアスなストーリーから明るいストーリーに路線変更したことを語っている。
僕が入ったときは、まだほとんど何も決まっていなかったんですよ。ただ、5人のキャラクターと名前は決まっていて、それは残っています。カフェをターミナルにして、女の子が銃を持って戦うことだけが決まっていて、短い小説もあったんですけど、全体的にシリアスな内容だったんです。なので、それ以外のところは自分が入ってから作っていった感じでした。
『リコリス・リコイル』では作画には関与せず、脚本と演出に注力した理由について、演出と作画を両立できるほどの才能もスケジュールもなかったからと述べている。
そこは僕にしかできない部分なので、今回はそちらに全力投球をしました。押さえるべき芝居などは、絵コンテでコントロールしています。現場に入ってから監督チェックの工程があると、ボトルネックになりますからね。
初監督でスケジュールを明確に意識し、演出や「作画カロリー」をコントロールしていることは称賛に値する。現在のアニメ業界では、総作画監督や作画監督は時間に追われる中で、可能なことをする仕事。動画検査、仕上げ検査、撮影監督や撮影スタッフなどはそれがより顕著。スケジュールの重要性を身に染みて理解しているからだろう。
しかし、シリーズ構成・脚本は足立慎吾さんにしかできない、というのは傲慢では? プロの脚本家に頼まなかったのは、価値がないと判断したからでしょう? 脚本軽視の思想。
脚本家の中本宗応さんはもともとアニメ雑誌や書籍の編集者だった。OVA『魔法先生ネギま! 白き翼 ALA ALBA』(2008)で、新房昭之監督から「原作に忠実なアニメを作りたいので、ガイドブックを手がけていて、作品をよく知っている編集者に脚本を担当してほしい」と言われ、アニメ脚本を書くようになったそうだ。
伊藤智彦監督『ソードアート・オンライン』(2012)や小野学監督『魔法科高校の劣等生』(2014)もシリーズ構成を置かず、出版編集者が中心になって脚本を書いていた。その『ソードアート・オンライン』シリーズで長年キャラクターデザイン・総作画監督を務めていた足立慎吾さんが脚本軽視の思想に染まってしまうのは必然かな。朱に交われば赤くなる。
背景にはアニプレックス経営者やプロデューサーの思惑もあるのだろう。スクリプトルームを設立して、自前で脚本家を抱えようとしているし。その意図は、職務著作なので脚本の著作権を会社のものにしよう、脚本家の著作者人格権を無視できるようにしよう、かな。
足立慎吾さんは間近で伊藤智彦監督を見ていて、私も監督できる、シリーズ構成・脚本を書けると思ったのかもしれない。
『WORKING!!』第1期(2010)の平池芳正監督はシリーズ構成も務め、第1話第2話の脚本を書いた。それは平池芳正さんに実力があるから。それ以降も監督・シリーズ構成を兼務している。また『WORKING!!』第1期では第3話以降はプロの脚本家に任せている。
上記の記事でインタビュアーは、原作物アニメの脚本家は「原作者や監督、プロデューサーたちの意見を取りまとめていく調整役のような存在」と定義している。
中本宗応さんは
オリジナル作品を手がける場合はいちからストーリーを考えていますが、原作付き作品の場合はすでにストーリーが存在しています。
ですので、我々としては基本的に出来るだけ原作を変えないようにしながら、いかにアニメとして落とし込んでいくか、を考えています。脚本としての作業はしていますが、いわゆる編集としての役割に近いのかな、と思っています。
と説明している。
『リコリス・リコイル』はオリジナルアニメだけれど、ライトノベル作家によるストーリー原案があるので、原作物アニメのような感覚で脚本を書けると足立慎吾さんは思ったのかな?
小林靖子さんは、漫画を映像化すると「疑似三次元」になる、「時間」が生まれる、と説明している。漫画では時間経過や距離移動はあまり意識されないが、映像では空間の奥行や時間の流れが視聴者に意識される。だから映像的な処理、つまり完成映像を意識した変換作業が必要になると。
これがプロの脚本家がいつも行っている仕事。アニメーターの足立慎吾さんはそれを理解しているのか、それどころか認識しているのか。
プロデューサーも脚本を読めない人がいると聞く。
ベテラン脚本家の辻真先さんの言葉。
アニメ『リコリス・リコイル』4話まで見る。美少女たちのキャラに慣れてくるとなかなか面白いのだが、大嘘をまことしやかに見せるため、たとえば地下鉄駅の銃撃戦など、彼我の情報収集や作戦計画を描写しておかないと、嘘が一人歩きして視聴者を減らす。警察のぼやきだけ実感が籠もっても、困るよね。
— 辻 真先 (@mtsujiji) 2022年7月27日
はたして足立慎吾さんやプロデューサーたちの心にこの言葉が届くだろうか?
足立慎吾さんは、初監督作品で、経験がないのにいきなりシリーズ構成・脚本をやっている点に対して批判的に見られていることを自覚しているようだ。
のざわよしのりさんは、足立慎吾さんら盤石のスタッフ陣がヒットの理由だと述べているが、買いかぶりすぎ。結果的に『リコリス・リコイル』はヒットしているが、今までに「豪華スタッフが贈る」が宣伝要素だったアニメが低品質のストーリーだったことも多いという歴史を無視している。のざわよしのりさんの専門分野である外国の実写映画でも同様。
足立慎吾さんのシリーズ構成・脚本初挑戦に実力があるのか疑問だ。
明るい話でも暗い話でも、登場人物が死んでも、残虐描写があっても、それは構わない。ただ、ストーリーの粗が目立つと残念に思う。ましてや門外漢がでしゃばったからという可能性があるならば。
ストーリーに関わるスタッフ
原作:Spider Lily(監督・ストーリー原案・シリーズ構成・各話脚本家・プロデューサーたちのチーム名)
監督:足立慎吾
副監督:丸山裕介
ストーリー原案:アサウラ
シリーズ構成:足立慎吾
脚本協力:長谷川崇
文芸協力:神林裕介、枦山大
チーフプロデューサー:三宅将典
プロデューサー:神宮司学、吉田佳弘、大和田智之
制作統括:柏田真一郎、加藤淳
アニメーションプロデューサー:中柄裕二
制作デスク:佐々木雄
設定制作:森周
第1話 - 脚本:足立慎吾、絵コンテ:足立慎吾
第2話 - 脚本:足立慎吾、絵コンテ:三浦貴博
第3話 - 脚本:枦山大、絵コンテ:足立慎吾/丸山裕介
第4話 - 脚本:神林裕介、絵コンテ:竹内哲也
第5話 - 脚本:鹿間貴裕、絵コンテ:鹿間貴裕
第6話 - 脚本:鹿間貴裕、絵コンテ:鹿間貴裕
第7話 - 脚本:枦山大、絵コンテ:柴田裕介
第8話 - 脚本:神林裕介、絵コンテ:相澤伽月
第9話 - 脚本:神林裕介、絵コンテ:大槻敦史
第10話 - 脚本:枦山大、絵コンテ:足立慎吾/伊藤智彦
第11話 - 脚本:神林裕介、絵コンテ:岩畑剛一
第12話 - 脚本:神林裕介、絵コンテ:相澤伽月
第13話 - 脚本:神林裕介、絵コンテ:足立慎吾
「企画」や「製作」のクレジットは、プロデューサーの上司で、製作委員会への出資を決め稟議書を決裁した人たち、という意味で使われることが多い。「企画」でクレジットされているからと言って、本当に企画を考え、企画書を書いた人とは限らない。
続き
足立慎吾さんが「ストーリーはどうでもいい」主義の人であることが判明した。
足立慎吾さんはとうとう放送中に言い訳し始めた。
最後まで観た評価。
念のため
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