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百合とアニメと映画の感想

『【推しの子】』第45話感想: 原作者と著作権と出版社とメディアフランチャイズ

『【推しの子】』第45話

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感想

『東京ブレイド』の関係者は皆、舞台を成功させようとしているが、原作者と現場の間で意見のすり合わせができていなかった。伝言ゲームで意図が変わってしまった。

現実でも、原作者と制作現場との間で話し合いを行い、それが上手くいったプロジェクトも多々ある。『今日は甘口で(今日あま)』の吉祥寺頼子にしろ、『東京ブレイド』の鮫島アビ子にしろ、そういう機会に恵まれなかった、と描かれている。

「顧客が本当に必要だったもの」。どのキャラクターの立場で見ても、あるある、と感じ入る。『SHIROBAKO』がアニメ制作を題材にしていても「働くこと」がテーマだったので、多くの視聴者が自分のこととして受け取ることができた。『【推しの子】』第41話以降の話も同じように、自分のこととして受け取ることができる。

 

 

著作権

著作権は大きく分けて、著作者人格権と財産権としての著作権の2つがある。著作者人格権は譲渡不可能。財産権は譲渡可能。

著作者人格権には、公表権、氏名表示権、同一性保持権がある。作中でアビ子が「展開を変えるのはいいが、キャラを変えないでほしい」と言っているのは同一性保持権にあたる。

小説家や漫画家が出版社と出版契約を結ぶ際、外国語翻訳権、アニメ化実写化などの翻案権、グッズ化権などの二次利用権を出版社に譲渡する。半ば強制的に譲渡させられると言うべきか。作者と出版社のどちらかが出版契約を解除したいと申し出て実際に契約終了すれば、それらの諸権利は作者に戻る。
ただ、出版社としては権利を手放したくはないので、売り上げが芳しくない作品でも重版未定のまま塩漬けにしておき、絶版を宣言しない。書店が取次や出版社に問い合わせても、在庫なし、入荷未定のままになっている書籍は、この可能性がある。

翻案権は出版社が保持しているので、出版社のライツ事業部が他社に働きかけたり、他社から企画が持ち込まれて、メディアミックスが進められる。その都度作者に確認を取ることはあまりなく、企画が固まってきたところで作者に伝えられる。酷い場合だと、もう中止できないところまで外堀を埋めておいてから、作者に許諾を迫る出版社(ライツ事業部と編集部)があったとか。

 

 

一般論

エンターテインメントにおいては、「成功はスタッフやキャストなど関わった人たち全員のおかげ、失敗はすべてプロデューサーの責任」という格言がある。プロデューサーは、原作物なら原作を見つけてアニメ化・映画化・テレビドラマ化などの許諾を取り、オリジナルならアイディアを出したり他の人からアイディアを出してもらい、企画を立て、出資者を募り資金調達し、主要スタッフを選び、主要キャストを選び、スタッフやキャストの仕事を支え、日々発生する問題に対して落としどころを見つけ、作品を宣伝し、お客さんに届ける。人・物・金・時間を差配するのがプロデューサー。仮に監督・脚本・役者などに問題があったならば、その人を選んだプロデューサーの責任。正しい人選ができなかったプロデューサーが悪い。

実写映画やテレビドラマなどで、だめな点があると主演俳優のせいにして批判する人がいる。視聴者の多くは、スタッフクレジットを見ても誰が何をしているのかわからない。だからとりあえずわかりやすい肩書きを叩く人が多い。往々にして監督、脚本家、主演がその標的になる。

メディアに記事を寄稿している自称評論家ですら、俳優批判に終始していることがある。プロデューサーを批判することはあまりない。

日本の実写映画やテレビドラマは芸能人のPV。原作ファンだけを当てにしても得られる利益は少ない傾向があるので、映画やテレビドラマで初めてそのIPに接する人と芸能人ファンを前提にする。

プロデューサーの中には、芸能事務所、広告代理店、スポンサー、テレビ局、映画会社などに平身低頭で、彼らの要求を何でも受け入れ、現場に丸投げする人もいる。特に多いのが芸能事務所のゴリ押し。キャスティングは出演者が上手いか下手か、役に合っているか否かは関係ない。ゴリ押しで周囲が甘い汁を吸えるから行われる。

日本の実写コンテンツは、オーディションを行わないプロジェクトが多い。アニメ業界は原則オーディションで声優を選ぶ。声優は実力主義で弱肉強食の世界。ただし、全国300館規模の映画館で公開し、原作ファンやアニメファンではない大勢の人たちに見てもらいたいアニメ映画は、宣伝目的の芸能人キャスティングが横行しているようだ。外国映画の芸能人吹き替えも同じ。

多額のお金が動く大作映画やプライムタイムのテレビドラマは、利害関係者のおもちゃになりやすい。

NTTコムリサーチが実施した映画鑑賞に関する調査によると、俳優目当てに映画を見る女性が多いらしい。日本の映画業界は、男性客より女性客の方がグループで映画館に行く傾向があるので、女性客に受けるような企画や宣伝を重視する。必然的に、プロデューサーや製作委員会出資企業の経営者は、観客に好かれる芸能人を主演に据える。

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人気芸能人は2年先、3年先のスケジュールまで埋まっていることも多い。長編映画やテレビシリーズのメインキャストは数か月から半年は拘束される。作品によっては年単位で拘束されることもあり得る。だから主演の芸能人ありきで企画を立て、スケジュールをあらかじめ抑え、その後から適当な原作を見繕う。小説や漫画などは芸能人が映えるPVを制作・製作するためのだしにされる。

出演者に合わせて、設定もストーリーも改変する。脚本家は、そういった上からの命令にそって、書かなければならない。原作準拠で書きたいと脚本家が思っていても、上の機嫌を損ねたら解雇される。その仕事がなくなるだけではなく、上に盾突く脚本家だと業界で広まって、それ以降の仕事がなくなるリスクもある。

映画は監督のもの、テレビドラマは脚本家(とプロデューサー)のもの、という言い方があるが、実際は製作委員会(あるいは製作費を出資した会社)のもの。脚本家がテレビドラマを仕切れたのは昭和時代の話。監督も脚本家も雇われスタッフの1人。

 

 

普遍性

外国でも同じ。映画は120年ほど、テレビジョン放送は90年ほどの歴史だけれど、既存の戯曲や小説やコミックスなどの翻案を行ってきた。メディアの違いにより改変・再構成するのは当たり前ではある。ただ、度を越して、別物になるのも日常茶飯事。極端な改変で原作者とプロデューサー及び製作会社が揉めた、という話もよくある。

 

 

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アメリカのテレビ業界では、脚本家にプロデューサーとしての権限を持たせればいいテレビドラマができるはずだという考えから、ショーランナーという役職が生まれた。実際ここ30年くらい、映画に比肩するほどのクオリティの作品が数多く製作されている。

その反面、ショーランナーも他のエグゼクティブプロデューサーたちも製作会社もネットワークも、作品が長く続けば続くほど利益を上げられるので、綺麗に完結させることを放棄し、だらだらだらだら引き伸ばし、そして視聴率が落ちて打ち切り、という作り方を繰り返している。

その影響で、ハマるし観ている間はおもしろいが、心に残らない作品もたくさんある。10年後、20年後、などに再び観たいと思うほどの作品ばかりではない。(これはショーランナー制度ができる以前も同じだし、どの分野にも言えるけれど。)

 

 

結論

一般論として、作品の失敗はプロデューサーを批判しましょう。特に製作委員会幹事会社のプロデューサーが最も責任を負う立場。「企画」「製作」「製作総指揮(エグゼクティブプロデューサー)」などの肩書がいればその人たちも。プロデューサーや製作委員会に雇われている立場の人を批判しても、あまり意味はない。

いい作品はプロデューサーも一緒にほめるといい。関係者もお客さんに喜ばれたと理解するだろう。映画賞で、作品賞をプロデューサーに贈るのはこの側面もある。プロデューサーを育てないと、結果的に駄作が生まれやすくなる。

視聴者も見る目を養う必要がある。