ディズニーはもう手描きアニメーションを制作できない
Wish
クリス・バック監督&ファウン・ヴィーラスンソーン監督『ウィッシュ』(2023)は、ウォルト・ディズニー・カンパニーの創立100周年記念作品。
ウォルト・ディズニーがプロデューサーを務めていた頃の、水彩画アニメーションへのオマージュが画作りに込められている。
Jennifer Lee
『ウィッシュ』はもともと全編に渡り手描き作画アニメーションとして制作する構想もあったが、コンピューターアニメーションを選択したそうだ。
ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオのチーフ・クリエイティブ・オフィサー(CCO)を務めるジェニファー・リーは、手描き作画はカメラの動きやキャラクター描写に技術的な限界があるので断念したと述べている。
ディズニー・ルネサンスを支えたアニメーターの1人であるトム・バンクロフトは、手描きアニメーションには制限があるというジェニファー・リーの発言に反論している。
3DCGアニメーションは手描きアニメーションより比較的低コストかつ短期間で制作でき、制作終盤になっても何度でもトライアル・アンド・エラーができるから、今更手描き作画に戻りたくないだけではないだろうか。
ジェニファー・リーは『アナと雪の女王2』の公開5か月前になって脚本を書き直した。軸が定まらないプロットを単純化したため、登場させた様々な要素を深堀することなくそぎ落とすことになった。
アニメーション制作は実写映画以上に各工程における決定を重視する。後からちゃぶ台返しで過去の決定事項を変更したら、制作現場が混乱し作品も破綻する。
制作終盤になって脚本を書き直さなきゃいけない脚本家・アニメーション監督なのだから、手描きアニメーションを敬遠するのは必然かな。
チーフ・クリエイティブ・オフィサー(CCO)は、そのスタジオの全作品に責任を持つ人を指す役職。だから全作品で製作総指揮(executive producer)としてクレジットされる。
ジョン・ラセターが2018年6月まで(実務では2017年11月まで)、CCOとしてピクサー・アニメーション・スタジオとウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオの全作品を統括していた。
現在はジェニファー・リーがウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオのCCOとして全作品の責任を負っている。
アニメーション
さらに、理由は技術的な制限だけではないと推測できる。現在のウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオには、手描き作画のアニメーターがあまりいない。
2000年代から2010年代前半にかけて、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオは手描きアニメーターをたくさん解雇した。手描き作画アニメーションを制作する予定がないから。
現在所属している数少ない手描きアニメーターは、3Dアニメーターの育成を担っている。作品によっては、『モアナと伝説の海』のマウイのタトゥーのように、手描き作画パートを担当することもある。
だからウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオは、手描き作画アニメーションを制作したくても自社で制作できないジレンマがある。他社に外注しようにも、それだけの大規模プロジェクトを支えられるだけの技術と経験を持つ人材が少ない。
ピクサー・アニメーション・スタジオ製作のジョン・ラセター監督『トイ・ストーリー』(1995)が大ヒットして以降、世界中のアニメーション制作会社は手描き作画アニメーションを捨て3DCGアニメーションに転換した。日本以外は。手描き作画アニメーションに拘りたくても、3DCGアニメーションがいくつも大成功する一方で、手描き作画アニメーションは観客にそっぽを向かれていたから。
3DCGアニメーションを制作しているスタジオは、世界トップクラスのスタジオと同じ土俵で戦わざるを得ない状況に陥っている。消耗戦の様相を呈している。
ピクサー・アニメーション・スタジオがウォルト・ディズニー・カンパニーの子会社になり、エドウィン・キャットマルとジョン・ラセターがそれぞれ社長とCCOとしてウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオも経営するようになったとき、ウォルト・ディズニー・カンパニー幹部からウォルト・ディズニー・フィーチャー・アニメーション(現ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ)を閉鎖しようという声があった。しかし2人は、ディズニーアニメーションの伝統を捨てるのは愚かだと反対した。
ここ20年以内でウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオが制作した手描き作画アニメーション長編映画は、ジョン・マスカー監督&ロン・クレメンツ監督『プリンセスと魔法のキス』(2009)とドン・ホール監督&スティーブン・アンダーソン監督『くまのプーさん』(2011)の2作品だけ。どちらも親会社が期待していたほどの興行収入を上げられなかった。その影響でウォルト・ディズニー・カンパニーは手描き作画アニメーション制作をあきらめ撤退した。エドウィン・キャットマルとジョン・ラセターは手描き作画アニメーションの制作を続けたかったけれど。
Bob Iger
回想録によると、ボブ・アイガーは2005年にウォルト・ディズニー・カンパニーのCEOに就任した直後、開園した香港ディズニーランドのパレードには「この10年間のディズニーキャラクターはほとんど登場していない」と、CFOやウォルト・ディズニー・スタジオ会長に指摘した。
映画の出来が悪いから、キャラクターも人気がないか記憶に残らず、そのことがすべての事業とブランドに打撃を与えていた。ディズニーはこれまで、創造性と、斬新な物語と、卓越したアニメーションの上に成り立っていたが、最近の映画は過去の栄光の足元にも及んでいなかった。*1
ボブ・アイガーはCEOとして最初の取締役会で、取締役たちにウォルト・ディズニー・カンパニーとウォルト・ディズニー・フィーチャー・アニメーションの現状を指摘し、前CEOのせいで絶縁寸前だったピクサー・アニメーション・スタジオとの関係改善について提案した。
「アニメーションがうまくいけば、ディズニーもうまくいきます」そう取締役たちに指摘した。多くの意味で、ディズニー・アニメーションこそが、ブランドそのものだった。キャラクターグッズ、テレビ、テーマパークといった多くの事業の原動力はアニメーションだった。過去10年間でそのブランドが傷ついていた。当時のディズニー、つまりピクサー、マーベル、ルーカスフィルムを買収する前のディズニーは、今よりはるかに小さく、アニメーションはブランドそのものだったばかりか、ほかのすべての事業の土台になっていたため、アニメーションがうまくいかないと話にならなかった。「まずはアニメーションを立て直すことが求められているんです」*2
手描き作画アニメーションの興行的失敗が、手描き作画アニメーション制作に終止符を打った。
下請け
ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオは『プリンセスと魔法のキス』と『くまのプーさん』を内製できず、原画の清書・動画・彩色・背景・撮影工程を下請けに外注した。『プリンセスと魔法のキス』のプレスキットに掲載されたスタッフクレジットで外注が確認できる(PDFファイル)。映画のエンドクレジットと同じもの。
1990年代のディズニー・ルネサンス期の作品ではありえないほどの物量を下請けに出した。
手描きアニメーターを大勢解雇したため、2010年前後にはウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオは社内で手描き作画アニメーションを制作することすらできなくなっていた。
アニメーター
アニメ監督・アニメ演出家として活躍している安藤真裕さんは、人物アクション(格闘アクション)における日本有数のアニメーターだった。『クレヨンしんちゃん』映画初期の凄いアクションシーンを手掛けた。
安藤真裕さんは「アニメーターってアスリートに似ていて、本番で投げるためには毎日練習しなきゃいけない。止めた途端にできなくなる。いまは演出する時間が長くなってるから、前はすっと描けたのに描けなくなってる」と述べている。
ディズニーアニメーションの手描きアニメーターたちも、常に手描きアニメーションを制作していなければ腕が衰えていく。
『リトル・マーメイド』のアリエル、『美女と野獣』のベル、『アラジン』のジャスミン、『ライオン・キング』のシンバ(子ども時代)の作画監督(Directing Animator / Supervising Animator)などを務めたマーク・ヘンは、「私たちが今100周年を祝うことができるのも、代々受け継がれてきたレガシー、つまり伝統があってのこと。ですから次の100年も、私が初代のアーティストたちから学んだことを次の世代へ、さらにその次の世代へと伝えていくことで、ディズニー・アニメーションの伝統を継承していけたらと思っています」と語った。
『アラジン』のジーニー、『ヘラクレス』のフィルの作画監督(Supervising Animator)などを務めたエリック・ゴールドバーグは、「私は長い間、手描きアニメーションの人材を育成してきました。CG映画が普及するにつれて、その考えはスタジオにとって重要ではなくなってきました。しかし、今では、手描きアニメーションを遺産の一部として認識する雰囲気やグループができていますし、手描きアニメーションを必要とするコンテンツが実際にあることは、本当に素晴らしいことです」と語った。
元のインタビュー記事はこちら。
エリック・ゴールドバーグが言及していたことの1つは、2Dアニメーションの研修プログラムのことだろう。しかし、アニメーションビジネスを専門とするジャーナリストの数土直志さんは、「今回のプログラムが本格的な2D復帰につながるかは、未知数である。ただし、手描きの技術を絶やさないとの意識はみてとれる」と効果に懐疑的。
今頃になって手描きアニメーターを育てようとするということは、現在のウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオには手描き作画アニメーションを制作する能力がないという証拠である。
新人アニメーターが使い物になるまで年単位の時間がかかる。作品の主力スタッフとして活躍できるようになるまでには、最低でも10年はかかるだろう。キャラクターの日常芝居に関しては、巧いアニメーターですら一生かかっても極めることはできないのではと考えるほど難しい。
ディズニー・ルネサンスを支えたアニメーターたちはこれからどんどん引退していく。ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオの手描き作画アニメーションの技術と経験は新しい世代に受け継がれるだろうが、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオによる手描き作画アニメーションに結びつくことはないだろう。
マーク・ヘンは2023年に引退した。現在のウォルト・ディズニー・カンパニーの経営方針についていけなくなったことを理由の1つに挙げている。
セルルック
ジョン・カース監督『紙ひこうき』(2012)のように、3DCGアニメーションを手描き作画アニメーションのように見せる技術開発には余念がない。
3Dモデルの上から手描き作画をかぶせる手法は、日本のアニメ制作でも用いられている。
ボブ・ペルシケッティ監督&ピーター・ラムジー監督&ロドニー・ロスマン監督『スパイダーマン:スパイダーバース』(2018)以降、セルルックの3DCGアニメーションが日本以外の国でも増えてきた。ソニー・ピクチャーズ・イメージワークス制作、ソニー・ピクチャーズ・アニメーション製作。
セルジオ・パブロス監督、カルロス・マルティネス・ロペス共同監督『クロース』(2019)も高い評価を受けた。セルジオ・パブロスが設立したスペインのThe SPA Studiosが制作・製作。
セルジオ・パブロスも1990年代のディズニー・ルネサンスから2000年代初頭にかけて、ウォルト・ディズニー・フィーチャー・アニメーションのアニメーターだった。
『ウィッシュ』も、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオが10年以上研究開発してきたセルルックの技術を用いて制作している。
結論
創立100周年記念作品ですら手描き作画アニメーションを制作しなかった、制作できなかった。つまり今後も手描き作画アニメーションを制作する可能性は低いだろう。
ウォルト・ディズニー・カンパニーは事実上、手描き作画アニメーションの人と技術を捨て去った。残念ながら、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオによる手描き作画アニメーション長編映画の新作を観ることは叶わないのかもしれない。
スタッフ
監督:クリス・バック、ファウン・ヴィーラスンソーン
脚本:ジェニファー・リー & アリソン・ムーア
原案:ジェニファー・リー & クリス・バック & ファウン・ヴィーラスンソーン & アリソン・ムーア
製作:ピーター・デル・ヴェッコ、フアン・パブロ・レイジェス
製作総指揮:ジェニファー・リー、ドン・ホール
撮影監督:ロブ・ドレッセル(レイアウト)、アドルフ・ルシンスキー(照明)
編集:ジェフ・ドラヘイム
音楽:デヴィッド・メッツガー
歌曲:ジュリア・マイケルズ、ベンジャミン・ライス、JPサックス
製作会社:ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ
配給:ウォルト・ディズニー・スタジオ・モーション・ピクチャーズ
配給(日本):ウォルト・ディズニー・ジャパン
投げ銭していただけると嬉しいです。